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東京高等裁判所 平成8年(ネ)542号 判決

平成八年(ネ)第五四二号事件控訴人

同年(ネ)第一〇九一号事件被控訴人(以下「第一審原告」という。)

甲野花子

甲野次郎

甲野花美

右三名訴訟代理人弁護士

山嵜進

平成八年(ネ)第五四二号事件被控訴人同年(ネ)第一〇九一号事件控訴人(以下「第一審被告」という。)

乙山春男

主文

一  第一審原告らの控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

1  第一審被告は、第一審原告甲野花子に対し、金一五六五万二一九二円、同甲野次郎及び同甲野花美に対し、各金七八二万六〇九六円及び右各金員に対する平成六年三月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  第一審原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

二  第一審被告の控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分し、その一を第一審原告らの負担とし、その余を第一審被告の負担とする。

四  この判決は、第一審原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  第一審原告ら

1  原判決を次のとおり変更する。

第一審被告は、第一審原告甲野花子に対し、金二九五六万一一五一円、同甲野次郎及び同甲野花美に対し、各金一四七八万〇五七五円及び右各金員に対する平成六年三月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  第一審被告の控訴を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  第一審被告

1  原判決中、第一審被告の敗訴部分を取り消す。

2  右取消し部分に係る第一審原告らの請求をいずれも棄却する。

3  第一審原告らの各控訴を棄却する。

4  訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告らの負担とする。

第二  事案の概要

本件の事案の概要は、次に加除、訂正するほかは原判決の「事実及び理由」の第二に記載されたとおりであるから、これを引用する。

一  原判決三頁八行目の「相続人から損害賠償を」を「相続人である第一審原告らが、第一審被告に対し、亡太郎の死亡による損害の賠償を」に、同九行目の「事実」を「事実等」に、同四頁一行目の「亡太郎を回し蹴りして」を「喫煙していた亡太郎に対し、喫煙をやめるよう求めながら肘で小突いたところ、同人が抗議する態度を示したので、とっさに同人の顔面、頸部付近に回し蹴りを加えて」に、同七行目の「本件加害行為によって被った損害」を「亡太郎の本件加害行為によって被った損害の賠償請求権」にそれぞれ改め、同一〇行目と一一行目の間に「亡太郎の平成五年度の通勤交通費は、三三万〇九六〇円であった。」を加え、同一一行目の「顛補」を「填補」に、同五頁一行目の「割合」を「相続分割合」に、同三行目の冒頭から同七行目の末尾までを次のとおりそれぞれ改める。

「二 本件の争点

1  亡太郎の死亡により同人及び第一審原告らに生じた損害の額

2  亡太郎の過失に基づいてなさるべき過失相殺の割合

三  争点に対する当事者の主要な主張

1  亡太郎の死亡による損害額について

(第一審原告ら)

(一) 亡太郎の逸失利益(主位的に五四三一万〇七八〇円、予備的に三五七〇万一三二四円)

亡太郎は、昭和一一年三月二〇日生まれで、死亡当時五七歳であった。

亡太郎は、株式会社A木工所(以下「A木工所」という。)の専属職人として、同会社から家具塗装の仕事を請け負い、同会社の作業場で仕事をしていたが、余力のあるときは他社の仕事も請け負っていた。そして、亡太郎の死亡前四年間の平均年収は八四一万九五三二円であった。

ところで、亡太郎は、家具塗装について専門技術を有する職人であり、健康の許すかぎりかなり高齢になっても働くことが可能であったから、その就労可能年数は平均余命の約半分である一二年とするのが相当である。

そこで、亡太郎の収入を年間八四一万九五三二円、就労可能年数を一二年(その新ホフマン係数は9.2151)、生活費控除割合を三割として亡太郎の逸失利益を算定すると、五四三一万〇七八〇円となる。

仮に、亡太郎の収入について死亡前四年間の平均年収を採用しないとすれば、平成六年度の産業計全労働者の平均年収額(五五三万四六〇〇円)に基づいて亡太郎の逸失利益を算定するのが相当であるところ、その金額は三五七〇万一三二四円となる。

なお、亡太郎は個人事業者として税務申告をしていたが、申告上の所得額と真実の収入額とは一致していないから、逸失利益の算定は、申告上の所得額ではなく真実の収入額によってなすべきである。

(二) 亡太郎の慰謝料(二六〇〇万円)

(三) 死体検案書作成料(三万円)

(四) 葬儀費用(一二〇万円)

(五) 弁護士費用(三〇〇万円)

(六) 右(一)ないし(五)の合計金額は八四五四万〇七八〇円(逸失利益に関する予備的主張によれば六五九三万一三二四円)となるところ、第一審原告らは第一審被告より右の内金として二〇〇〇万円を受領しているので、これを控除すると六四五四万〇七八〇円(予備的には四五九三万一三二四円)となるが、第一審原告らは、本訴訟において、右の内金として五九一二万二三〇一円(第一審原告花子二九五六万一一五一円、同次郎及び同花美各一四七八万〇五七五円)を請求する。

(第一審被告)

亡太郎は個人事業者であったから、逸失利益は死亡前年度の申告所得額に基づいて算定すべきである。

また、収入額については、A木工所より支払われた金額から、材料費、消耗品費、接待交際費、旅費、通勤交通費等の必要経費を控除した実収入金額を基礎にすべきであるし、死亡前四年間の平均収入はバブル全盛期の収入を含むもので不合理である。

そして、生活費控除割合は四割、就労可能年数は六七歳までの一〇年間とし、中間利息控除はライプニッツ係数によって算定すべきである。

2  過失相殺の割合

(第一審原告ら)

禁煙区域における喫煙行為は、公衆道徳違反の行為ではあるが、本件のような駅のプラットホームにおいてはしばしば見られる行為であり、特に本件が生起した朝の通勤ラッシュ時の満員電車の乗り継ぎの合間には、愛煙家が公衆道徳を忘れがちになることは往々にして体験されるところである。そうした公衆道徳違反者が、周囲の者から口頭で注意を受けることはやむを得ない。

しかし、第一審被告は、亡太郎が前方によろめいて鞄を取り落とす程に亡太郎を小突いたのであるから、その行為は亡太郎に対する注意として許容される限度を超えていた。したがって、亡太郎が、第一審被告に対し、『何も小突くことはないだろう。』と述べたのも自然の情の発露である。第一審被告としては、このとき亡太郎に対し、小突いたことを謝ったうえ、喫煙の非を諭すべきであったのに、いきなり顔面付近に回し蹴りを加えてきたため、亡太郎は仰向けに転倒し、後頭部をプラットホームに強打して死亡した。

右のとおり、第一審被告の回し蹴りの原因は、同被告が亡太郎を小突いたことにあり、亡太郎の喫煙行為とは直接の関連性がないのであるから、本件における亡太郎の過失割合は一割以下である。

(第一審被告)

煙草の煙は周囲の不特定多数の者の健康を害するものであり、駅構内の禁煙区域での喫煙は、鉄道営業法三四条の『制止ヲ肯セスシテ吸煙禁止ノ場所ニ於テ吸煙シタルトキ』に当たる犯罪行為である。平成六年一月九日にJR船橋駅で、煙草の火が幼女の瞼に当たりあわや失明の火傷を負うという事件があり、右事件を契機に同年二月からJR各駅構内における『迷惑煙草追放キャンペーン』が実施され、本件は右キャンペーン中の出来事であった。

亡太郎は、プラットホームの禁煙区域での喫煙を常習的に繰り返していた者であり、第一審被告より過去に二回以上にわたって注意を受けていたにもかかわらず、本件加害行為当日も禁煙区域で喫煙していた。

第一審被告はことさら強く亡太郎を小突いたものではなかったが、亡太郎の『何も小突くことはねえだろ。』との言葉に開き直りの態度を感じとり、これまでの経験(第一審被告は、これまで禁煙場所での喫煙を注意して、煙草の火をズボンに押しつけられたり、階段から蹴落とされたり、振り向きざまに殴られたりした経験がある。)から、ただでは済まないと判断して、自己防衛のためとっさに回し蹴りをしたものであり、回し蹴りによる傷害はなかったが、亡太郎がプラットホーム黄線上の凹凸に足をとられて仰向けに転倒し、後頭部を強打したため死亡という予想外の重大な結果に至ったものである。

したがって、双方の過失割合は、第一審被告六五パーセント、亡太郎三五パーセントが相当である。」

第三  当裁判所の判断

一  争点1(亡太郎の死亡による損害額)について

1  亡太郎の逸失利益

争いのない事実等の1、2及び甲第三ないし第五号証、第七、第八号証、第一〇、第一一、第一五号証の各一、二、第一六号証、証人荒井洋子の証言並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 亡太郎は、死亡当時満五七歳(昭和一一年三月二〇日生れ)の家具塗装職人であり、A木工所の専属職人として同会社の仕事を請け負い、毎日同会社に出勤して、同会社の作業場で家具塗装の仕事をしていた。

(二) A木工所と亡太郎の請負契約は、A木工所が作業場を提供して水道、光熱費を負担し、亡太郎が材料費を負担する約定であり、請負代金は、毎月七万円を現金で手渡し、その残額から材料費を控除した金額を各月末に亡太郎の銀行口座に振り込む方法によって支払われていたところ、平成四年度分(同年一月分から一二月分まで)の右振込金額の合計は八〇六万四六九九円、同五年度分(同年一月分から一二月分まで)のそれは四一九万七六二五円であるから、亡太郎がA木工所から受領した平成四年度分の合計金額は八九〇万四六九九円、同五年度分のそれは五〇三万七六二五円となる。

(三) 亡太郎の平成五年度の通勤交通費の額が三三万〇九六〇円であったことは当事者間に争いがないところ、同四年度の通勤交通費の額も右と同金額であったものと推認される。

また、甲第一五号証の一、二(亡太郎の昭和六三年分の所得税の確定申告書の控)によれば、亡太郎は、昭和六三年分の所得税の確定申告に際し、接待交際費として二八万〇二一一円、消耗品費として八万八一五二円を計上しているところ、亡太郎はA木工所の専属職人として同会社の作業場で仕事をしていたものであるから、それ程多額の接待交際費、消耗品費を使う必要はなかったとしても、個人事業者である以上、平成四年度、同五年度においても、右各金額と同程度の接待交際費、消耗品費を使用していたものと推認するのが相当である。

(四) 亡太郎は、一家の支柱として、妻の第一審原告花子及び長男の第一審原告次郎を扶養していた。

右(一)のとおり、亡太郎は個人事業者として家具塗装の仕事をしていたものであるから、逸失利益の算定に当たっては、過去二年分の収入金額の平均値を基礎にするのが相当であるところ、右(二)、(三)によれば、亡太郎の平成四年度の実収入金額は八二〇万五三七六円、同五年度のそれは四三三万八三〇二円であり、その平均値は六二七万一八三九円となる(なお、右金額は第一審原告らの予備的主張の金額五五三万四六〇〇円を上回っているから、予備的主張の当否についてさらに判断する必要はないことになる。)。

また、右(一)の事実によれば、亡太郎の就労可能年数は満六七歳までの一〇年間(そのライプニッツ係数は7.7217)、右(四)の事実によれば、亡太郎の生活費控除割合は三割とするのが相当である。

そこで、右の収入金額、就労可能年数、生活費控除割合を基にして亡太郎の逸失利益を算定すると、三三九〇万〇四八一円となる。

なお、第一審被告は、亡太郎の逸失利益は、死亡前年度の申告所得額に基づいて算定すべきである旨主張しているが、真実の収入金額が認定できる場合は、申告所得額ではなく真実の収入金額によって逸失利益を算定すべきであるから、右の主張は採用できない。

2  亡太郎の慰謝料

当裁判所も、亡太郎の慰謝料は二六〇〇万円が相当であると判断する。その理由は、原判決の「事実及び理由」の第三の一2に記載されたとおりであるから、これを引用する。

3  死体検案書作成料及び葬儀費用

甲第九号証の一、二及び弁論の全趣旨によれば、第一審原告らは、死体検案書作成料三万円及び亡太郎の葬儀費用一二〇万円を、法定相続分割合にしたがって各自負担したことが認められる。

二  争点2(過失相殺の割合)について

当裁判所は、亡太郎と第一審被告の過失割合について、亡太郎二割、第一審被告八割が相当であると判断する。その理由は、次に加除、訂正するほかは原判決の「事実及び理由」の第三の二に記載されたとおりであるから、これを引用する。

1  原判決一一頁三行目の「事実」を「事実等1」に、同七行目の「同年二月」から同一二頁一行目の「られていた。」までを「JR千葉支社は、千葉県内の全駅で一か月にわたって『迷惑煙草追放キャンペーン』を実施した。JR武蔵野線南越谷駅プラットホームも、平成五年三月から、プラットホームの両端に設置されている喫煙コーナーを除いて禁煙区域に指定され、駅員が構内放送で終日禁煙を呼び掛けていた。」に、同二行目の「プラットポーム」を「プラットホームの」に、同一〇行目の「左肩あたり」から同一一行目の「かえって」までを「左肩あたりを肘で小突いて注意したところ、亡太郎は前方によろめいて鞄を落とし、その後」に、同一三頁一行目の「文句を」から同二行目の末尾までを「言いながら第一審被告の方に近づいてきたことから、第一審被告は亡太郎がつかみかかってくるように感じ、長引くと」にそれぞれ改め、同五行目の「命中し、」の次に「亡太郎は」を加え、同一〇行目の「被告が」から同一一行目の「甲14」までを「第一審被告が手拳で亡太郎の後頭部を一発殴ったとの事実は認められない(甲第一四号証」に改める。

2  原判決一四頁の一行目の冒頭から同一一行目の末尾までを次のとおり改める。

「ところで、煙草は、喫煙者にとっては意味のある嗜好品であっても、非喫煙者に対してはその健康を害する有害物にすぎず、そのため喫煙場所と禁煙場所とを指定する分煙化運動がここ数年来積極的に推進されているところである。前記のとおりJR武蔵野線南越谷駅プラットホームも、平成五年三月から、プラットホームの両端に設置されている喫煙コーナーを除いて禁煙区域に指定され、駅員が構内放送で終日禁煙を呼び掛けていたのであるから、毎日のように同駅を利用していた亡太郎も当然これを承知していたものと認められる。

右の状況下において、通勤で混雑するプラットホームで周囲の者の迷惑を省みずに喫煙することは、社会的に相当の非難を受けてもやむを得ない行為である。なお、駅のプラットホームにおける喫煙がしばしば見られる行為であるとしても、そのことによって違法性が軽減されるものでないことは明らかである。

そして、亡太郎は、第一審被告から喫煙についてこれまでに二回も注意を受けていたのに、本件加害行為当日も禁煙区域で喫煙していたのであるから、第一審被告が単に口頭で注意しても効果がないと考え、有形力を行使した心情もあながち理解できないではない。

しかしながら、第一審被告は、いきなり亡太郎が前方によろめいて鞄を取り落とす程に亡太郎を小突いたのであるから、その行為は社会的に許容される限度を超えていたものというべきである。また、亡太郎が『何も小突くことはねえだろ。』と言いながら第一審被告の方に近づいてきたため、第一審被告は、亡太郎がつかみかかってくるように感じたとしても、両者の年齢差等(乙第一号証、第七号証によれば、第一審被告は当時二八歳で空手初段の免許を受けていた。)からみて重大な危害を加えられるおそれを感ずるような状況にあったとは考えられないから、もとより亡太郎の死亡という重大な結果を予想して行ったものではないとはいえ、更に回し蹴りを加えた第一審被告の行為につき大幅な責任軽減を認めるのは相当でない。

以上の諸事情に徴すると、両者の過失割合は、第一審被告八割、亡太郎二割と認めるのが相当である。」

三  相続及び損害の填補

右一の1、2によれば、本件加害行為による亡太郎の損害は合計五九九〇万〇四八一円であるところ、右二のとおり、第一審被告が賠償すべき金額はその八割であるから、四七九二万〇三八四円となる。

そして、第一審原告らは、亡太郎の損害賠償請求債権を法定相続分割合にしたがって相続したから(争いのない事実等の2)、第一審原告花子は二三九六万〇一九二円、同次郎及び同花美は各自一一九八万〇〇九六円の損害賠償請求債権を相続したことになる。

また、右一の3のとおり、第一審原告らは法定相続分割合にしたがって死体検案書作成料三万円及び葬儀費用一二〇万円を支払ったものであるが、右二のとおり、第一審被告が賠償すべき金額はその八割であるから、第一審被告は、第一審原告花子に対し四九万二〇〇〇円、同次郎及び同花美に対し各二四万六〇〇〇円の支払義務があることになる。

次に、第一審被告が第一審原告らに対し、右の内金として二〇〇〇万円を支払ったこと及び第一審原告らが右の二〇〇〇万円を法定相続分割合にしたがって前記損害賠償請求債権に充当したことは当事者間に争いがないから(争いのない事実等3)、これを控除するとその残額は、第一審原告花子が一四四五万二一九二円、同次郎及び同花美が各七二二万六〇九六円となる。

四  弁護士費用

本件の事案の内容等を考慮すると、本件加害行為と相当因果関係のある弁護士費用は、第一審原告花子が一二〇万円、同次郎及び同花美が各六〇万円と認めるが相当である。

五  まとめ

右一ないし四によれば、第一審原告らの本訴請求は、第一審原告花子につき一五六五万二一九二円、同次郎及び同花美につき各七八二万六〇九六円及び右各金員に対する不法行為後の平成六年三月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが、その余は理由がない。

第四  結論

以上の次第で、第一審原告らの本件控訴はいずれも理由があるから、同控訴に基づいて原判決を主文一項のとおり変更し、第一審被告の本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加茂紀久男 裁判官 北山元章 裁判官 林道春)

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